青にある

青師の青峰です。
「青を仕事にする」と言ってから10年。

ANAさんからお仕事をいただいたり、Yahoo!ニュースに掲載されたり、青コンサルをいただいたり、青講演の話をいただいたりと、青に関する仕事の依頼は毎月のようにいただくようになりました。

「好きの先に役目がある」というのは真理で「続け続けられるコトこそ好きである」も真理だと思います。
総じて「青に生きれば上手くいく」と表現し体現してきて感じることは、やることなすことがすべて「青」になるということ。

青という仕事をいただきますが、最初は青で無いコトも最後は青になるという世界。
それくらいの力が「その人が持っている天才」「その人が持っている役目」と言い換えられる「青」にはあります。

青は「主の光をそのまま反映している状態」「すべての始まりがある」という意味で、言い換えるなら「自分の本心に沿って自然と表現できている状態」「自分の役目の方向にある」となります。

全ての人が「青」にあれば、全ての人が豊かで幸せな状態が生まれます。

「やりたい」を「自分の意識」で真っ直ぐ進んでいる状態

100人居れば100人の、1万人いれば1万人の人生があります。
「全ての人は違う」という前提ですから、すべての人の「やりたい」は違っていて当然。

そして、その「やりたい」が何かを分かっているのは自分自身。
その自分自身が持つ「やりたい」を「自分の意識」で真っ直ぐ進んでいる状態を「青」と言います。

そこには外的要因は一つも入りません。
例えば「仲のよい人がこう言っているから」とか「流れが来ているから」とか「成功者が、有名な人が・・・」ということが入らない、シンプルに「自分がやりたい」と思ったことです。
5歳の子どもが「やりたい」と言っている感覚に近いと捉えて貰うと分かりやすいかもしれません。

その「やりたい」はおそらく「こんなことを言ってもいいのだろうか?」と感じることが殆どです。
なぜなら「誰もやったことのないコト」であるから。

それは「100人居れば100人の、1万人いれば1万人の人生がある」ため、自然なことなんです。

幸せとは何か?

青は幸せの色で、青に生きると幸せです。
では「幸せとは何か?」なのですが

「役目を果たしていくこと」

です。

生まれてきたからには何かしらの意味や理由があります。
今、存在しているのは「他の誰もできない役目」があるからです。
もし、同じ存在がいるのであれば、その人はこの世に存在していません。

そして、その「役目を果たす」ということは、他の人にとっても必要なコトになっています。
なぜなら全ての人に役目があり、それぞれが役目を果たすことで世界は成り立っていくから。

その役目に向かうことは、その人にとって「進みたい」と思う方でなければ役目を果たそうとしない。
そして、人は人である以前に自然の一部であります。

だから、その役目に向かうことは「その人にとって幸せ」でなければ自然にならない。
これは裏を返せば「その人にとっての自然である」ことが「役目を果たす」ことに繋がり、それが「その人にとっての幸せ」であるとも言えます。

そして、その役目こそが、その人にとっての「青」になります。

青という字は「主」+「月」が合わさって出来ていて「主となる光を月のようにそのまま反映している状態」を表します。

主となる光は「心」、そのまま反映する月は「体」
「心の思うままに表現している状態」を「自然体」と言い、そこに「幸せ」があると意味しています。

全ての人が天才がある理由

天才を表す色も青。

天才とはその字の通り「天から与えられた才能」=「自然と持っている能力」です。
役目を果たすという意味を持って存在している以上、全ての人に天才はあります。

「人にみせるという才」を持っている人が「天才」に生きている様子を「あの人は天才だ」と言われるので勘違いされやすいですが、その天才に生きているかどうかが大切で、目立つ必要は全くありません

そして天才は「自然と持っている能力」であるので、天才に生きるは「自然体に生きる」と同じ意味です。
天才に生きれば幸せであり、そうある状態は全てが流れるように上手くいきます。

青という「あり方」

自分の幸せにある、自然体にある、天才にある。
表現は様々ですが、青は状態であり「あり方」です。

「どうすればよいか?」という「やり方」ではなくて、ただあるという「あり方」
その答えは自分自身が持っていて、気づいているかどうかが唯一の境目。

自分の幸せも、自分の自然体も、自分の才能も「すでにある」ものだから。
その「すでにある」もので「ある」というのが青であるです。

自分の中に当たり前にあるものなので、自分では気づかない。
だから、他の人を見ようとするのですが、それは「役目」を認識するためであって、「やり方を探す」ものではありません。

なぜなら「1万人いれば1万人の人生」であって「答えは自分が持っている」からです。

青であると結果は数万倍変わる

青である起きるのは「結果が簡単に出てしまう」ということです。
これは「青というあり方」に気づいた人全員に起きていますが、理由は簡単で「その天才」だからです。

他の人が苦労するような事を軽々やれてしまうから「天才」であり、そこを活かすので当然の結果。

さらに、自分にとっては自然体、仕事であればあっという間に終わってしまうので、時間的余裕が出来、役目を果たしているので幸せという状況になります。

すると、当然出てくる結果は圧倒的になっていきますので「その役目はこの人」という流れが出来上がってきます。
全ての人に役目があり、それぞれが役目を果たすことで世界は成り立っていくため、その人が青であるのは「その世界に存在する全ての人」に望まれます。

僕が「青を仕事にする」と言いつづけて生きてきましたが「どうやるのか」を持ってきてくれたのは、ANAの人だったり、中学生だったり、旅先で出会った人といった「他の人」でした。

そのため青に生きるという「あり方」であれば「やり方」は自然と生まれてくるものであり、中には「思いもよらない形」であったりもしますが、自然体で幸せであるコトからは変わりません。

「青か、青でないか」で全てが決められるシンプルな世界

自分の役目に気づくと「『役目=青』に沿っているか沿っていないか」だけで判断できるようになります。
そして「『青』へ流れていく」のが青であるということになっていきます。

シンプルで簡単で何もかもが自然と流れていく世界が「青の世界」
青さえ意識できれば後はどうやっても上手くいくので、僕は常々「青に生きれば上手くいく」と伝えています。

そして、その青は自分自身の中にあり、その役目は『誰とも被らない唯一無二の存在』になっています。

それがその人にとっての『青』であり「最幸のあり方」。

その言葉にたどり着くまでには、様々な現象や言葉と向きあっていくコトも必要だったりしますが、一人では出来なくても誰かを頼ればできていきます。

母親を亡くし、家が火事になり、震災に会い、大学は留年し、英語を話せないサラリーマンから海外でビジネスを立ち上げて移住したことも経験ながら、30年以上もの間「生かされている意味」を問い続けた僕の答えが「青ある」でした。

自分の役目を表す『青』をもって「青にある」という方向にすすめば、すべてが上手くいく
色々あって「本当にこちらでよいのだろうか」と思った全ての人の道標となる『青』

僕は僕という役に立つため『青』であるという役目を果たし続けていきます。
それが僕にとって「青である」ということだからです。

生まれてきた意味である青、青にある続ける人と「主役の世界」を進んでいきます。